読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

すきにいきる

今日も元気にうろうろ。

すきなものはすきなんだから好きにさせて

こんにちわんわんです。

お恥ずかしながら通院を始めた頃に書いたのが最後の日記ですね…

まだ通院はしてますが薬は減りましたし、

カウンセリングも来年1月で終了予定、就業制限も解除されています。

今とても元気です。

 

カウンセリングを通して感じたこと・学んだこと・実践していきたいことが

たくさん出てきたので一度まとめておきたいなぁと思っていました。

そんな時たまたま会社で杉山文野さんの講演を聞く機会があり

つながる部分と感じた部分があったので講演の感想もまじえて書いていくことにします。

 

杉山さんは「みんな何かしらマイノリティな部分を抱えている。

セクシャルマイノリティだからって特別な存在じゃない。

普段の生活の中で出会っているはず」

という主旨のことを仰っており、それが印象に残りました。

 Tokyo Rainbow PrideというLGBTのイベントに参加した時に感じたことを思い出したからです。

 

私は世間一般で言うところの普通の女性で

世間一般で言うところの普通の男性の恋人がいます。

そんな私がTRPに参加したのは

たまたまSNSで知り合った友人にセクシャルマイノリティの人が多く、その友人たちが参加するから。

それだけでした。

 

いざ行ってみると楽しいお祭ではあったものの

普段意識していない友人達のセクシャリティを強調される日でもありました。

セクシャリティがなんであれ友人であることは変わらないのに、と

そして、すきなものをすきと言えない社会なんだ、と

少し悲しくなったのを覚えています。

 

 

さて、ここでちょっと話が変わります。

 

私はいわゆる自己肯定感がない人というのは

幼少期に"すき"を育てるのを許されなかった人と解釈しています。

なぜ自分の"すき"を見放してしまうかといえば、他人の求めるものをあたかも自分のことのように錯覚させられてしまう、そんな環境に居たから。

(周りの人に悪意があるかは関係ありません。むしろ善意かも)

そして他人の求める結果が得られないと自分の中身が空っぽになってしまうので、死にものぐるいで頑張ります。

他人からの評価と、弱々しいながらも存在する自分の"すき"、

二者の乖離が限界に達したとき体の不調として現れるのではないか、

半年前に体調を崩した私はまさにこういう状態だったのではないか、

そう考えています。

 

ちなみに、ここまで私が乱用している「自分の"すき"」は

「誰になんと言われようが私が私だ!生きてるだけでオールオッケー!」くらいの意味です。

この「自分のすき」を元にして

本が好きとか花が好きとか、将来あれがしたいとかこういうパートナーが欲しいとか、

普段の生活で使える健全な好きが生まれていくものだと思っています。

 

自分の"すき"を自分で認めること、自分に胸を張って何が好きか言えること。

なかなかうまく説明できないんですが、ここまでに書いた2つのトピックは詰まるところ同じ場所に行き着く話なんじゃないか、と思うわけです。

 

ただ、"すき"を認めることと表明することは地続きではなくて

"すき"の表明で他人を不快にしたり公序良俗に反する場合もありうるわけです。

現に同性愛が犯罪になる国があるらしいと杉山さんもお話されてました。

この"すき"の表明の難しさについては中々結論の出ない問題ではありますが、これからも考え続けていこうと思います。

私は考えるのも書くのも好きですから。

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

それではまた!